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八千代堂 マシュマロ OEM

八千代堂の歩み

創業100年以上の歴史を持つ製菓会社 八千代堂
〜 三代に継承されるマシュマロ一筋の道 〜

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​八千代堂の創業

製菓会社 八千代堂の創業は、明治四十四年(1911年)。

3代目社長の曽祖父に当たる堀江 尊一(そんいち)氏が、歓楽街の松島新地 九条(現大阪市西区) の松島八千代座劇場の前で、露店を出しお煎餅を焼いて売っていたのが原点です。

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尊一氏は元々は徳島県の農家の出身。長男として生まれ後継となるはずだったが、農家を継ぐことに意欲が持てなかった尊一氏は、親類を辿って15歳頃に身一つで大阪へ来たのだそう。

当時はまだ高級品だった和菓子などの製菓に、憧れを抱いたのであろう尊一氏は、出自からも分かるように決してお菓子職人ではありませんでしたが、アントレプレナーシップ(起業家精神)を発揮し、八千代堂製菓を創業しました。

創業者の尊一氏は、儲けが出たら地元に寄付をする、という考えを持っていたそう。昭和30年当時で100万円(今の価値で2000万〜2500万円)をポンと寄付してしまうような気っ風の良い、潔い人柄だったようです。

八千代堂 マシュマロ OEM

写真 : 創業者(右から2番目の男性が創業者の堀江尊一氏)
八千代座の前で松下幸之助がお見合いデートをしたというお話が有名ですが、その側でお煎餅を焼いていたそうです。

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八千代堂のマシュマロ

マシュマロづくりのはじまり

〜 戦後、盆菓子「鳳瑞」から始まったマシュマロ製造開発 〜

明治時代といえば、文明開化の名の下に外国の文化が自由に入り始めた時代です。お菓子の世界にも洋菓子製造技能や洋風食材が導入されていき、日本にマシュマロが輸入されてきたのもこの頃です。

西洋から入ってきたマシュマロは、現在のようにゼラチンを主に作られていましたが、この頃の日本ではゼラチンを使うことは、まだ主流ではなかったようです。

戦後、製菓会社として次第に事業を広げていた八千代堂は時代の流れに乗って、マシュマロの前身となる寒天を主原料に作られる和菓子「鳳瑞(ほうずい)」をつくり始めました。


ただ、鳳瑞は仏壇などにお供するための盆菓子として広まっており、売れる時期が限られていました。さらに時代の変化とともに鳳瑞を供える風習も薄れつつあり、次第に売上げが右肩下がりに。

そこで、後に2代目となる堀江 一博(かずひろ)氏の主導のもと、新たな事業の柱となるマシュマロづくりを始めたのです。様々な困難もありながら、職人気質で粘り強い一博氏は、直向きに研究を重ね続けて美味しいマシュマロを完成させていきます。

八千代堂 マシュマロ OEM

写真 : 創業者(左端)・二代目 一博氏(真ん中の男性)

八千代堂 マシュマロ OEM

写真:二代目 堀江 一博氏

八千代堂のマシュマロ

日本でも数少ない
マシュマロに特化した菓子製造会社へ

実は一博氏は、父・尊一氏より八千代堂を継ぐ前に、独立起業しゼリービーンズの製造をしていたそうです。

また、妻 文(フミ)の実家の家業も洋菓子製造会社だったため、義理の父からも熱心に教えを請い製菓づくりの修行をしていたのです。

これまで八千代堂が鳳瑞をつくってきたノウハウと、一博氏がゼリービーンズをつくってきたノウハウとこれまでの経験が重なりあって功を奏し、ゼラチンを主原料とするマシュマロの製造を成功させることが出来たのです。
 

その後、一博さんが事業を継ぐと、製造商品をマシュマロ一本に絞りました。こうして、日本でも数少ないマシュマロに特化した菓子製造会社として、八千代堂は歩き出すことになったのです。

八千代堂のマシュマロ

写真:八千代鶴の玉子としてマシュマロを製造販売していた、旧会社社屋。

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「八千代堂」に込められた想い

八千代堂という名前は、前出の通り松島八千代座にちなんで付けた名前でもありますが、“ 八千代=永遠に、堂=神仏を祀る建物・多くの人が集まる建物 ”という意味もあり、『永きに渡り人が集まるように・・人の手によって、大切に守り続けられていく御宮の様に。』という想いが込められているのです。

代々受け継がれてきた八千代堂のマシュマロが、たくさんの方に出会い笑顔や元気を届けられる様に。

皆様に愛されるマシュマロづくりを、大切に守り続けていきます。

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